2007年3月 5日 (月)

子どもたちは、ダメージを受けないために、被害者にならないために、ウィルスに感染して加害者になってゆくのだ

『いじめは心の疫病である。大人の見えないところで子どもたちの間に伝染していくウィルスである。(略)ウィルスに侵されていない人間だけがダメージを受ける(略)。ダメージを受けないためには感染しなくてはならない。だから子どもたちは、ダメージを受けないために、被害者にならないために、ウィルスに感染して加害者となってゆくのだ。』(山脇由貴子『教室の悪魔 見えない「いじめ」を解決するために』ポプラ社 2006年12月 p100)

東京都児童相談センター心理司の著者のいじめに関する洞察は、現場職員ならではの慧眼を感じる。教室の中にいじめの「傍観者」がいないという構造の指摘には度肝を抜かれた。

いじめの解決と、管理者としての学校への責任追及を分けて考えるべきという提言も、実際の現場においてはとても有効な指針だと感じた。

現代の教室で起こっているいじめの実態をかいま見ることで、皮相なマスコミ報道に容易に気づくことができるようになる。いじめや自殺などの新聞報道を鵜呑みにしてはならないことにも気づける。

教室のたったひとりの被害者の他は、全員加害者という見方は、改めて加害者や加害者の家族の責任追及だけではいじめ解決につながらないことを認識した。

学校は、加害者がいじめという行為にしか自分の創造性を発揮していない事実を認めて、授業をはじめとする学校生活のさまざまな場面で子どもたちの創造性を発揮させる工夫に今まで以上に取り組むことを期待したい。

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2006年8月12日 (土)

世の中の全員が賛成してくれることはありません。たとえそれが正義のため安全のためであろうと、必ず自分の都合だけで文句を言う人は出てきます

 坂井優基『パイロットが空から学んだ危機管理術』インデックス・コミュニケーションズ、2006年5月、p52 このタイトルのことばに続けて「世の中すべての人に、いい顔はできません。安全のためであれば駄目は駄目と、きっぱりとすることが大切です。」と続く。

 ひとは、とかく八方美人になりがちである。他人から非難されるよりはプラスの承認を受けたいと考えるので、当然である。

 ルールさえコントロールできる立場であれば、なおさら、自分の都合を主張する。遠慮がちを装いながら、思いを通そうとする人もいる。

 今日8月12日は、85年にJAL機墜落事故が発生した日であり、私はとくに安全について考えなければならない日と決めている。

 安全のために「2つ以上いいことは同居しない」と主張する著者からは、安全確保の現場にいてこそ実感してきた「安全確保のほんとうの難しさ」が伝わってくる。

 安全はすべてに優先する、ともよく言われる。安全を確保する意識のない者はリーダーシップを取るべきでない、という意味を読み取らなくてはならない。

 「緊急時の訓練は、実際に近いことをやって不具合点を洗い出すために行うべきです。この訓練がうまくいかなければうまくいかないほど、実際の緊急事態にはうまく対処できるようになります。」(前掲書 p158) 避難訓練などに対する心構えを180度変えるような至言である。避難訓練は、いざというときに役立つよう「うまくいくように」行おうとする。それを逆転して、うまくいかない不具合点を洗い出すために、うまくいかないほうがよい、とする著者の着眼は重要である。

 不具合点を洗い出すのが緊急訓練の目的である、との明確な位置づけは安全確保のために不可欠なことである。

 危機や災害に備えること、必要な準備すること、これらのことに真剣に取り組んだ者だけに、神様は安全というプレゼントを授けるのである。

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2006年5月26日 (金)

パイロットは優秀な技量を持たなければなりませんが、その技量を発揮しなければいけない状況に自分を置いてはいけません

 坂井優基『パイロットが空から学んだ一番大切なこと』インデックス・コミュニケーション、2005年5月、p182 パイロットが飛行機の操縦席に座ったときにはその仕事の9割が終わっていなければいけない、という著者は、こ「の本の巻頭で、世界で初めて無着陸世界一周飛行を行ったパイロット、ディック・ルータンの「優秀なパイロットとはその優秀な操縦技量を使わなくてもすむような、優秀な判断力を持ったパイロットである」という至言を引用もしている。

 機長の仕事で一番大切なことは「飛ばないという決断」とともに「説明責任」の必要性にもふれている。

 責任がある以上、当然の権利・権限はある。しかしその権利・権限の行使にあたっては説明責任が求められるということである。説明できない権限行使は「ひとりよがり」になる。

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2006年4月17日 (月)

飛行機の操縦が下手なパイロットは、自動操縦装置の操作も下手なのである

『機長が語るヒューマン・エラーの真実』杉江弘著、ソフトバンク新書、2006年3月。P103。過剰な自動操縦システムの設計思想を批判するくだりのなかに出てくる。「技量が多少劣るパイロットでも自動操縦装置があれば安全に飛行機を飛ばせられると考える」のは「とんでもない間違い」なのだそうだ。「自動操縦装置を使いこなす技量は、手動操縦の技量に正比例し」「フライトのイメージがしっかりとできていて計画どおりに使わないと機は安定」しないという。

 パイロットの負担を軽減させるのがオートパイロットの目的なのだが、そのオートパイロットを自在に操る技量は手動操縦の技量と同じ、というところに感銘を受けた。

 これは車を運転する技量を考えるとき、車は人間の移動の負担を軽減させるものである、とするならば「歩くこと」、厳密にいえば「交通ルールに従って歩行する技量」に正比例することになる。上手に歩ける人は車の運転も上手であり、危険な運転をする人かどうかは歩き方でわかるということになる。

 また、文書作成の技量を考えるとき、ワープロは文書作成・推敲・清書の負担を軽減させるものであると考えるならば、「手書き」技量に正比例することになる。上手に手書きできる人はワープロの使っての文書作成も上手であり、読みにくいワープロ文書を作成する人かどうかは手書きの文書をみればわかるということになる。

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