2006年5月10日 (水)

「作業」の中にある何か

私の勤める知的障害者施設の近くにある養護学校の先生とお話をしたときのこと。勉強になかなか集中できない障害者の方が、何か作業となると1時間ぐらい集中できることがあるそうです。先生もその集中度合いに惹かれるようで、作業が好きとおっしゃっていました。

作業に中になにか集中されるものが潜んでいるようです。

勉強にも「幅」があると思います。人間誰でも好きな勉強と嫌いな勉強があって、好きな勉強とは、勉強のもつ「幅」のなかにあって、なにか自分にきらっと(あるいはビビッと)呼応するものなのでしょう。

でも勉強の幅はきっとあまり広くなく、ひとによっては自分に呼応する部分を見つけられません。その人は勉強がずっと好きでなくなります。

一方、作業はといえば勉強よりはるかに「幅」が広いので多く人は自分に呼応する部分を見つける可能性が大きくなります。

勉強の幅を大きくできる先生は、きっとよく分かる先生、好きな先生……と言われるようになるでしょう。

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2005年12月15日 (木)

自分だけを見て!

 人と会ったときに挨拶をしますね。「おはようございます」「こんにちは」「お世話になります」「さようなら」……。もちろん笑顔で、明るい表情で、張りのある声で、よい姿勢でできたらほんとうに「よい挨拶」になりますね。

 でももっとよい挨拶は「おはようございます」のまえに「○○さん、おはようございます」というように目の前にいる方のお名前をつけるのがよいのです。なぜでしょうか。考えてみてください。

 私の勤務する施設の顧客の皆様は元気がよくて礼儀正しい方が多く、(残念ながら私をはじめ職員が丁寧に教えたわけではないのに)毎朝丁寧にご挨拶してくださいます。なかでも『施設長先生!おはようございます!』という方の笑顔が本当にすがすがしくて心地よく感じます。

 挨拶の前にその方の名前を付けるということは「その方だけを見ているよ」という気持ちの表れです。目の前に大勢の方がいると、つい「おはようございます」と全員に向けて一回で済ましてしまうような挨拶をしてしまいがちです。

 ところが、挨拶の前に名前を付けてしよう、と思うと自然に一人ひとりに目が向くのです。挨拶された人もそのことはきっと感じます。(私もそうですから)

 自分だけを見て! と言外に訴える行動を取る方がよく見受けられますが、挨拶の前に名前を付けるということで、あなただけを見ています、というこちらの気持ちが自然に相手に伝わるのではないかと思います。

 明日の朝から試してみてください。

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2005年12月 3日 (土)

みんな幸せになれますように

 しばらく前のことになりますが、忘れられない出来事をお知らせします。私が勤務する施設では知的障害者の方への入所支援サービス、通所支援サービスを提供していますが、お客様は年末年始、お盆のときなどは帰省されます。今年のお正月休み明けに、各地から施設に帰ってきます。お昼の食事の時に施設の理事長先生が、ある女性のお客様に「初詣に行きましたか」と訊ねたのです。「行きました!」と元気にその方は応えました。「神様にどんなことをお願いしたの?」と理事長先生。その答えは何だったと思いますか。「去年(2004年)は災害が多かった(津波や地震の被害が甚大でした)から、今年はみんな幸せになれますようにって……」

 この答えをそばで聞いていた私も、理事長先生も絶句でした。そうですよね、だって初詣のお参りでは普通、今年一年の「自分や自分の家族」の健康や繁栄をお願いするじゃないですか。それがさりげなく「みんなのこと」をお願いしたと聞いて、年初にとてもいいことがあったなと感じました。

 師走に入り今年ももう少しです。年明けにまた、かの女性に「今年は何をお願いしたの」って伺ってみたいと思います。

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2005年11月10日 (木)

妹がよくなって

知的障害の姉妹におこったこと。姉は私の勤務する施設の顧客でした。妹は重度の身体・知的障害でしたが、あるとき精神科医の診察により行動障害の原因に「幻聴」があることに気づき向精神薬を投与したところ、とてもよく改善がみられたとのこと。表情が明るくなりお話も多く出るようになりました。ご家族はとても安心しました。そして姉に「妹もこんなによくなったのだから、お姉ちゃんも頑張ろうね」って励ましました。しばらくすると姉の生活が大きく変わっていったのでした。(つづく)

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2005年11月 9日 (水)

手がありますから

先日、顧客(私の勤務する知的障害者施設の利用者・施設サービスの消費者のことです)のお母さんをご自宅まで私の車で送ったときのこと。お母さん曰く「この間、担当のさたか先生がおっしゃった一言でほっとしました」 「なんて申し上げたんですか」と私。「さたか先生が『お母さん、一人であまり無理しないでください。僕たちには手がありますから』と言ってくれたんです。子どものことでいろいろと悩んでいたときに、手がありますからという一言が本当にうれしく、ほっとしたんです」 職員のチームワークがあるなぁ、と感じた一瞬でした。複数の職員の固いチームワークを感じていてくれたからこそ、さたか先生は「私が頑張りますから」ではなく「手がありますから」という言葉が自然に口から出たのでしょう。頼もしい職員の存在を再発見し、私自身もほっとしました。

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