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2011年3月 4日 (金)

社会貢献はなぜ必要か

昨年大手サラ金会社武富士が倒産しました。業界一位の会社でしたが、倒産してみれば世間の目は厳しいもので「あれほどあこぎな金利稼ぎをしていたのだから当然だ」というものでした。今年2月になって、創業者の家族に約2千億円が還付されることが最高裁で確定し、またまた波紋が広がっています。

私内藤が80年代に高校教員をしていたときに担当した「政治経済」の授業でも消費者金融を始めとする消費者教育をテーマに採り上げていましたので、見過ごすことのできない現象でした。

本来金融を生業とする「銀行」に相手にされない消費者が経済社会で生きていく上で不可欠とも言えるサービスには一定の存在価値があります。もちろん違法な(あるいはグレーゾーンの)金利で稼ぐことや、度を超した取り立てをすることは社会問題です。とはいえ、一部の消費者にとってはなくてはならないものとなっていたことは事実です。

倒産したこの会社の社員も業界一位であるからには寝食を忘れて仕事に邁進していたことでしょう。自分の仕事の使命として、消費者になくてはならないサービスの提供にその意義を見出していたでしょう。しかし大きな社会問題となりいくつかの法改正を経て過払い金(利息)返還請求が可能になり、会社の経営そのものが成り立って行かなくなったとき、その社員が手にする社会からの評価は本当に厳しいも

のなのです。銀行から相手にされず生活苦に追い込まれた消費者からの援護さえ受けることもできないのです。

では、私たち福祉関係者はいったい世間からどのような評価を得ているでしょうか。

障害者、高齢者に不可欠なサービスを提供していることに間違いはありません。確固とした存在意義は誰にも認めてもらえるでしょう。従事している人にとっても強い誇りを感じられる職場が多く存在します。この分野の先人の業績を垣間見れば、茨の道ともいえる事業を遂行し続けた高邁な意思に誰もが頭を垂れることでしょう。障害者、高齢者の人権や尊厳の確保するために、我が国の制度改革に向けて身を投じてきたその姿勢からは、人間としての信じられないほどの強さや、過去現在未来に続く歴史の進化や共につながる人々への強い信頼感などを感じることも容易にできます。

自分の仕事の受け手である人(消費者)を人間として見てきたかどうかの点において、消費者金融業界の人々とは格段の差があります。

しかし、たとえそうであったとしても、自分の仕事(業務)に一意専心で取り組んできた点において変わりはありません。自分の業務においていかに愛情を込めて情熱を込めて働いたとしてもそれだけでは、自分のお給料のため、自分の会社の持続性のためといわれてしまうのです。

福祉業界に身を置くと、この業界はとても厳しいと感じます。これは紛れもない事実です。しかし福祉業界以外が安泰かといえばそうではありません。自殺者が年間3万人を超える日本の社会において、福祉業界の経営者が経営に行き詰まり自殺したというニュースはほとんど聞きません。もしもこの国の財政が破綻して社会保障費支出が滞ったとき、福祉業界は事業が成り立って行かなくなる事態となるでしょう。そのときに路頭に迷った福祉業界の人々に対して、世間から「障害者、高齢者を食い物にしてきたのだから当然だ」という目が向けられないという保障はないのです。むしろそのように見られると考えるべきなのです。制度が悪いからという言い訳は決して通用しないでしょう。消費者金融界でもそのように言い訳をしてきたからです。

いま私たちは、「障害者、高齢者のために」を掲げているだけでは不十分なのです。繰り返しますが、自分の業務においていかに愛情を込めて情熱を込めて働いたとしてもそれだけでは、自分のお給料のため、自分の会社の持続性のためといわれてしまうのです。

私たちは、人として、大人として、社会人として果たさなければならない義務は何なのかを問い直さなければなりません。自分のお給料のためではないこと、自分の会社の持続性のためではないことにも目を向けなければなりません。本業において誰にも負けない業績を上げることを超えたところにあるもの、それを「社会貢献」というならば、社会貢献を自分の本業以外においても積み重ねることが必要なのではないでしょうか。

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