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2006年3月24日 (金)

自発的にやりたいと思うことは100%正しい

 障害者自立支援法の施行を目前にして、私の勤務する施設でも障害福祉サービスを利用する障害者ご本人、そのご家族の方(私どもの施設では「お客様」とお呼びします)に制度変更の中身のご説明と、利用料のしくみの変更(応能負担から定率負担に変わります)に合わせた契約変更の準備に追われています。

 報酬が下がる中、どのように収益性を保つかの正念場がやってきたようです。

 いままで、社会福祉法に盛り込まれた「障害者サービスの第三者評価」への取り組みとして私の勤務する施設では独自にISO9001を採用し、その認証を受け、半年に一度の外部機関の審査を受けながら継続的改善に取り組んできました。2002年の12月に初めての認証を取得し、昨2005年12月に更新登録をしました。障害福祉サービスの提供事業者として、サービスの品質改善に取り組むことは当然のことと考えてきたのです。当然その費用も決して安いものではありません。ですが、事業者として当然負担すべきものと信じてきました。

 新しい障害者自立支援法のなかには、このような事業者の取り組みを評価するしくみはありません。

 事業者が「サービス」そのものの品質改善にとりくんでもそれは評価されません。評価の指標はいろいろあるのですから、その指標に品質改善への取り組みが採用されなかったとしても、それはそれでしかたありません。

 むしろ事業者としては、利用実績払い方式(日払い方式)の制度に対応し、適正な報酬を獲得するために別な視点からの取り組みが求められています。

 私の勤務する施設では、職員のパーソナリティを活かした周辺事業(中心事業は障害福祉サービス事業です)の開拓を進めるつもりです。中心事業と周辺事業との協調の中で、企業としての永続性を求めています。

 そこで、どのような事業を展開しようかと考えましたが、ふと気づくと、実は周辺事業への布石は数年前から、施設の職員によって進められていたことに気づきました。

 しかもその布石は、施設長である私の指示があったからなどではなく、職員自らの希望によって選ばれ、進められていたのです。

 まず、1点。私の勤務する施設は「知的障害者授産施設」ですから、利用されているお客様の就労支援が重要職務となります。したがって「就労実績」は何よりも大切な事業実績の指標となります。施設が設置されたのが平成11年。その後、約5年間に就労された方は5人。わずか毎年1人の割合でした。

 3年前、つきやま先生は、就労支援の仕事をやりたいという希望を私に伝えました。私はそれを承認しました。つきやま先生は、ジョブコーチとして八面六臂の活躍をしてくれました。しかし最初の2年間は、私の勤務する施設からの就労者はわずかでした。ちょうど一年前、私は、先生に伝えました、次の年度に10人の企業就労者をだしてほしい。それが実現しないなら、ジョブコーチの仕事は辞めてほしい、と。

 その結果。今年度9人が企業就労を果たしました。全員最低賃金以上の給料で雇用契約です。(そのうち3人は残念ながら後日解雇されてしまいましたが……)。年1人から10倍近い実績がでました。目標をもてば達成できるんです。つきやま先生が証明してくれました。

 私の勤務する施設の最大の売り(セールスポイント)は、就労実績です。その点で、施設の進むべき道を確信させてくれたのが、つきやま先生の存在でした。

 つぎ。こひ先生は、障害者地域生活支援室(無認可事業です)のコーディネーターです。こひ先生もやはり3年前に、地域生活支援事業の重要性を感じ、この仕事をやりたいという希望を私に伝えてくれました。私はそれを承認しました。その後の3年間、支援室事業そのものは利益を産み出しませんでした。

 しかし、こひ先生は毎月欠かさず「支援室ニュース」を書きました。このニュースがこひ先生と支援室に会員登録した在宅障害者との間の信頼関係を作り続けました。会員登録数もばかになりません(企業秘密です)。

 この信頼のネットワークは、今後の周辺事業の展開を図る上でなくてはならないものです。いまは施設にとっていのちの次に大事な情報といえるでしょう。このネットワークを毎月こつこつと作り上げてくれたのがこひ先生でした。

 そして。私の勤務する施設では、昨年から宅配弁当事業を始めました。当初は厨房の職員さんのがんばりに頼る体制でした。これからの事業拡大には人・モノ・金の投資が重要になります。そこで第一歩としてこの4月から新しい職員体制を敷くこととしました。

 この新しい体制の中で、担当することとなった、こたか先生は、数年前に「調理師」免許を取得していました。このときも免許を取りたいという相談を受けました。私は承認しました。その結果、こたか先生の免許が活かせる状況が生まれたのです。

 ここに紹介した3人の先生は、いずれも今後の施設の進むべき道のキーを握る先生です。でも誰一人として、施設長である私からこの仕事をやってほしいと頼んではいないのです。自ら進んで、やりたい道を選んで、そして実績を残し、施設にとっってなくてはならない人材になってくれたのです。

 職員が、自発的にやりたいと思うこと、これは100%正しい道なのだと、お話ではなく、目の前の事実として私に示してくれています。

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2006年3月 7日 (火)

データがなくならなくて、よかった

1985年(昭和60)夏に日本語ワープロ「東芝ルポ」を購入してから、私のキーボード生活が始まりました。学生生活が終わり、高校教員としての社会人生活が始まって2年目に初めての「学級担任」となりました。その学級担任になって2年目の夏にポータブルのワープロを購入しました。今では信じられないことですが、ディスプレイは液晶の10文字分(たしか)だけで、プレビューも黒の点々だけで全体の位置関係をチェックするだけしかできないようなものでした。

 それでも手書きの文書から卒業できたのです。そういえば、職員向けの生協のカタログ誌には「漢字タイプライター」がまだ載っていて、真剣に購入を検討などしたものでした。

 その後、教員を辞めることになる平成2年夏までの約5年間はずっと東芝のルポシリーズのワープロを4台くらい買い換えながら使いました。2台目からはディスプレイ付きのタイプになりました。3台目からはデータ保存用のフロッピーが使えるようになりました。

 平成2年の冬からNECのパソコンを使うようになり、ワープロは「一太郎Dash」というソフトを使いました。有名な「一太郎」より安く買えたからです。数年後ワープロソフトをマイクロソフト社の「Word」に切り替え、現在までこのWordシリーズのソフトを使い続けています。ただ日本語変換プロセッサは一太郎に付属の「ATOK」を使用しつづけ、「Word」付属の「IME」は一度も使いませんでした。現在は最新版のATOK2006を使用しています。

 パソコンはデスクトップ型とノート型を併用しながらほぼ2年ごとに買い換えてきました。デスクトップ型は勤めている施設や会社で買ったものですが(今のデスクトップパソコンは5台目)、ノートパソコンは自費で購入しました(今のノートパソコンは4台目)。

 デスクトップ型の機種の交換は毎回「ハードディスク」のクラッシュが原因でした(今までに3回くらいありました)。ハードディスクが壊れるとパソコンごと買い換えました。以前はパソコンでの仕事はたばこを吸いながらしていたのでほぼ3年でハードディスクが壊れました。現在の施設は、施設内禁煙にしているのでハードディスクは壊れないのですが、CPUの非力を強く感じるようになると交換してきました。

 先週3日にデスクトップパソコンが壊れました。原因はハードディスクから起動できなくなったことです。またハードディスクか、と思いました。

 しかし今日、エンジニアさんに修理していただいたところ、マザーボードに原因がありました。ハードディスクはシステムのみの再インストールで復旧し、データはすべて回復したのです。

 パソコンは消耗品ですから、壊れて当然という気持ちでいるのですが、それでも壊れると涙がこぼれそうになります。仕事のパートナーになっているからでしょうね。ハードディスクのデータはバックアップしてあるのですが、それでもメール環境の修復ができるか不安でした。今回は比較的順調に回復したのでほんとうによかったのですが、バックアップ体制の再度の見直しが必要であると感じています。

 パソコンに名前をつけていないので、本名で呼びかけられませんが、パソちゃんありがとう、いつまでも元気でね。といいたいところです。

 

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